幸福度ランキングで日本が低いのは?

幸せを追いかけない生き方

先日、興味深い記事を読みました。

東洋経済オンラインの
「日本はじりじり低下へ 幸福度ランキング『いつも低め』の謎と上位国と何が違うか」
という記事です。

2026年の「世界幸福度報告」では、日本は61位、韓国は67位でした。幸福度ランキングは、単純に経済的な豊かさだけで決まるものではなく、人生の評価、社会的支援、人生の選択の自由、健康、寛容さ、社会への信頼など、さまざまな要素が関係しています。

この記事で特に興味深かったのは、
「なぜ日本や韓国では幸福を感じにくいのか」
という問いに対して、遺伝的な性質だけではなく、社会や文化のあり方に目を向けていることです。

日本や韓国のような集団主義的な社会では、個人の自由や自己表現よりも、家族や組織、周囲との調和を優先することが評価されやすい。

そのため、
「自分はどうしたいのか」
よりも、
「周りからどう見られるか」
「迷惑をかけていないか」
を気にしやすくなります。

一方で、幸福を「自分の努力や選択によって手に入れるもの」と考えすぎることにも問題があります。

「もっと幸せにならなければ」
「今の自分は十分幸せではない」
「幸せになれないのは自分の努力が足りないからだ」

そんな「幸福へのプレッシャー」が、かえってストレスになることもあります。

さらに記事では、進化心理学の視点から、幸福そのものが人生の最終目的なのではなく、生きていくための行動を促す「報酬」として、快感や楽しさが使われているのではないか、という考え方が紹介されています。

お腹が空けば食べる。

食べれば満足する。

しばらくすると、またお腹が空く。

仕事を達成すれば嬉しい。

でも、次の目標が出てくる。

欲しかったものを手に入れれば嬉しい。

でも、また別のものが欲しくなる。

つまり、人間の脳は「ずっと幸せな状態」を維持するようにはできていないのかもしれません。

そう考えると、

「幸せになることを人生の目的にする」

という考え方そのものを、少し見直してもいいのではないでしょうか。

私自身、以前は「もっと良いもの」「もっと楽しいこと」を探していたように思います。

良さそうな波を探して、自分からその波に向かっていく。

でも最近は、少し変わってきました。

波を探し回るのではなく、

波が来たら、その大きさに合わせて波乗りを楽しむ。

大きな波なら、大きな波なりに。

小さな波なら、小さな波なりに。

そして、波が来ない「凪」も、それはそれで楽しむ。

これは、幸福を諦めるということではありません。

むしろ、

「幸せでなければならない」という力みを手放す

ということなのだと思います。

楽しいときは楽しむ。

辛いときは、辛いなりに過ごす。

何かをしたくなったら行動する。

何もしたくなければ、少し休む。

その時々の自分の状態を感じながら、無理に感情を変えようとしない。

「こうでなければ幸せではない」と決めつけない。

私はこれを、

「幸福を追いかけるのではなく、人生の波に乗る」

という感覚で捉えています。

幸福は、目的地ではなく、行動の途中でふっと感じるもの。

笑ったり、運動したり、人と話したり、仕事をしたり、好きなことをしたり。

そんな日常の中に、一瞬一瞬の「快」が現れては消えていく。

だからこそ、

「幸せになる」よりも「今日を自分らしく過ごす」。

その積み重ねの中に、結果として幸福感が生まれるのではないでしょうか。

大きな幸福を追い求めなくてもいい。

小さな波を楽しめばいい。

そして、波がない日は凪を楽しめばいい。

人生も身体も、いつも絶好調である必要はありません。

大切なのは、今の自分の状態を感じながら、

「いい塩梅」で波に乗っていくこと。

それくらいが、ちょうどいいのかもしれません。

【参考】
東洋経済オンライン
「日本はじりじり低下へ 幸福度ランキング『いつも低め』の謎と上位国と何が違うか『幸せになりにくい要因』の決定的差」
ソ・ウングク/橘玲、2026年9月29日

World Happiness Report 2026

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